12月号|三猿・八面の教え

『見ざる、言わざる、聞かざる』の教えとは?


「こりゃ~えらいもんを見ちまった。こういうときゃあ『見ざる言わざる聞かざる』にかぎるぜ。お~くわばらくばら」なんてセリフが落語にあったかどうだか…。そう、『見てはいけないものを見てしまった』そんな時に使うことわざ!?ぐらいに思っていたこの言葉には、実は人生の尊い教えが込められているってことで早速調べてみた。『見ざる言わざる聞かざる』といえばだれでもが知ってる日光東照宮の、あの三猿。神厩舎の長押の上に彫られてる猿たち。よく知られているのは『見ざる言わざる聞かざる』の3匹だが、実は全部で8面16匹の猿がいて、人間の一生を風刺しているというのだ。

最初の一面は子どもを引き寄せた母親が手をかざして遠くをやさしい眼差しで見つめている。子猿がその母親をのぞき込む、その表情がまたいいんだ。まさに『愛』くるしい。

二面目が例のやつです。両手でそれぞれ耳、口、目を押えている子猿たち。幼い子には悪いものを見せない、言わせない、聞かせない。真っすぐなこころのまま成長させよという教え。三つ子の魂百まで。幼少期の経験の大切さを教えている。私が長年思っていた『俗』な解釈では無かったわけだ。

三面目は一匹の自立を想う猿。希望と不安の中で必死に未来を見つめている表情に注目してほしい。

四面は、口をへの字にぎゅっと曲げ、天を仰ぎ見る二匹の猿。手を伸ばせばつかみ取れるであろう『青い雲』。強い志をむねに覚悟みなぎるその表情には胸打たれる。五木寛之の『青春の門』を思い出す。

五面。三匹の猿たちは崖の上にいるのであろうか。下を向く猿は、この先の未来におびえているのか、一歩踏み出す勇気がないのか。隣で背を撫でるのは友か。『大丈夫。お前はひとりじゃない。一緒に進もう』と言っているようだ。そして、今にも飛び出そうかとしている猿。バンジージャンプの寸前の姿。もう子供じゃない。でも時には優しい手で背中をさすって欲しい時もある。やさしい言葉をかけてもらいたい。背中を押してくれる友から勇気をもらう時だって必要だ。

六面目。しゃがみ込み一点を見つめる猿。そこから立ち去ろうとしている猿。この2匹の関係は親友?恋人?学生の頃まではバカやって四六時中一緒にいて遊んだり学んだりできた。でも社会に出たらいつまでも同じ道を歩いてはいけない。出会いと別れ。生きてればいろいろあるよ。

七面。人生のパートナーと出会う。二匹は目の前の荒波に、もまれながら手をたずさえて生きていくことを誓い合う。

そして八面目。一匹の猿。どうやら妊娠しているようだ。母猿に愛情いっぱいに育てられた一面の子猿も親となり、あの時の眼差しでやさしい笑顔で子供を見守り育てる時が間もなく訪れる。そして物語は次の世代へと引き継がれていくのだ。この八面は想像力をかきたてる意味深いものだとあらためて感じる。紙芝居にして語るに足る逸品である。

 

 

自分の言動には責任を持たなければならない


幼いころ、親や周りの人からの愛情に恵まれなかった人には『愛着障害』といって共通の特徴があると言われている。そもそも『愛情』とは、いったいなんであろう?親と子、恋人、夫婦、親友…特定の相手に抱く感情は様々だが総じて『人を大切に思う気持ち』や『愛おしく思う気持ち』のことを指す。そういった気持ちを上手にコントロールできなかったり、関係が築けないことで一体何が起こるのか?…虐待、いじめ、ひきこもり、パワハラ、セクハラ…こういったことを起こす人は多かれ少なかれ『愛着障害』もしく同様の精神障害を抱えていると捉えた方がいい。『人間関係を良好に保つ』とはコミュニケーションが不足しているとかそんな単純なことではないようだ。人材育成、教育、研修ではどうにもならないこと…そこで大事なのが日光東照宮の『見ざる言わざる聞かざる』の三猿・八面の教え。子供には見せてはいけない、聞かせてはいけない、言ってはいけないことがある。それがなんなのかは自分で考えるべきことですが、思わず耳を塞ぎたくなるような、目を覆いたくなるような出来事は毎日どこかで起きている。反面教師的対象は無数、学ぶ機会はいくらでもある。子は親の鏡。三つ子の魂百まで。昔の人は真実を的確に簡潔に後世に伝えている。自分の言動がその子の将来に多大な影響を及ぼしていることを決して忘れてはならない。

 

コトウダグループ(古藤田グループ)