10月号|「無知の知」からの始まり

 

考えるんじゃなく、感じることを大切にしよう!


先日、ある高校のSDGsの授業をキッカケに『ジェンダー平等』をカタチにしようと行動に出た生徒会と学校との『わかり合えそうもない溝』を取材したドキュメンタリー番組を観た。生徒会女子役員数名が、ある生徒はスカートでなくパンツを、ある生徒は男子の制服を着て職員室を訪れる。対応した教師は、頭ごなしに、事前に相談もなくこのような一方的なやり方はルール違反と押し返そうとする。生徒達は、「私たちはただ、この姿を見て、先生方がどう感じるのか聞きたいだけなんです」と訴えても、生徒達の問いには答えない。教師の一人からは「校則を守れ」という声も。これが現代の世の中の歪みそのものではないだろうか。授業では、SDGs17の目標の中で自分たちができることを進めよう!などともっともらしく教えるのに、本気でやろうという人間が出てくると、やれ進め方が、それは規則がと、総論賛成各論反対、変わることのできない日本の縮図がココにある。このやりとりの中で、生徒は、先生方がどう『感じる』のかを問う。しかし『常に頭で考えて答えを出すことが正解』と錯覚している教師には、生徒達の想いも、目の前で起きている現象を『素直に感じる』こともできないであろう。そんな教育を続けているから、なんでも答えを教えてください。解き方を教えてください。と。頭で考えれば何でもわかると錯覚する人間を創り出す。「じゃあ、君は出産時の女性の痛みを頭で考えればわかるのかね?」そんなんだから養老さんが今を嘆くわけだ。現実としっかり向き合えば、この地球上に、頭で考えてもわからないことが無数にあることぐらいわかるでしょう?まずはそれを知ることから、地球・人類の未来のことを考え直した方がいいと思うんだけど。まさにソクラテスの「無知の知」からの始まりなんです。もうひとつ気づいたことに『これはそういうもんだ』がある。例えば直角三角形の辺の比は1:2:√3とか円周率は3.141592…とか義務教育の中でたくさんの『これは、そういうもんだ』理論抜きの丸暗記をやってきた。大人になってからも、世の中のいろんなこと、『そういうもんだから』で片づけてきた。60歳を目の前にようやく気づき始めた。日々の仕事や暮らしの中での『違和感』をほっとかず『そういうもんだ』で終わらせず自分自身に問い、『考えるのではなく、まず感じる』。ために自らが現場・現実・現物を目で見て、触れて、聴いていくことを心掛ける。そうすると、世の中が歪みと偏見と嘘に満ち溢れていることが見えてくるし、自分の無知さと愚かさにも気づく。自分がこれまで、どれだけ視野の狭い、偏見やゆがみの視点でものごとを捉え選択・決断を繰り返してきたことか愕然とする。人生は、『自分で考えて行動して、結果を受入れ、またやってを繰り返して憶えていく、すなわち学習の毎日だ』いろんな本を読んで、多様な人たちと出会い、いろんな街を歩くことで、刺激を感じる毎日をつくり過ごしたいものだ。

 

 

自己治癒力を上げる。


コロナ後遺症に苦しむ娘が一年経過した今、一番重視していることは、まず『正しい呼吸』。これは寝たり起きたりの日々が長く続いていることで体力が低下し呼吸が浅くなっていることへの対処だが、具体的にはストレッチやヨガ体操を1時間ゆっくりやることで体を動かしながら息を吸って吐くといった呼吸の調子を整えている。次に『水分を上手に取る』。これはもともと水をあまり飲まない娘が以前より増して飲まなくなっていることへの対処。最近ではミネラル分や酸素分をより多く含む水を飲んだりしている。さらに、行き始めたのが鍼灸治療。中国4000年の医術。体のツボを刺激することで免疫力を向上していくというものだ。コロナウイルスへの特効薬はいまだ開発されていない現在、感染者や後遺症への対処は、行き着くところ人間の体の『自己治癒力』をあげることが最も効果的な対処法であるということがよくわかる。どれも特別なことではなく人間が生きる上で必要不可欠な『空気と水と体のバランス』に他ならない。これらのことは、現代人の特に若年層に総じて当てはまることであると娘のかかりつけ医は言う。私自身も娘に倣って日々バランスよく過ごすことを心掛けたい。

 

コトウダグループ(古藤田グループ)