11月号|友情から未来へ

友情から未来へ


「それでは、以上の通り『クラウドファンディング』を実施します。私たちチームにとって初挑戦となりますが目標額300万円達成を目指してワンチームになって臨みましょう!!」代表のコミットメントに『私、100万はいけます!けっこう顔広いし、SNSのフォロワーもたくさんいるので…』。そう宣言した彼女は2か月後、数万円を集めるのがやっと、しかもその内容は親兄弟からの支援のみ。彼女の言っていた『私の友だち』からは1円も集まらなかった。1円たりとも…下を向いてうなだれる彼女。私のこれまでの人生は何だったのか…と恥ずかしいやら悔しいやら、ないまぜの涙が零れる。見るに見かねたリーダー格のAさん。結局、何人の人に会ったの?じかに声をかけた人は?応えは、ほとんど投稿とライン。しかもそのラインの内容もほぼみんな同じ定型文。どうやら彼女は、会って話ができるほどの友だちや知り合いがそれほどいないようだった。あらためて『友だち』ってなんだろう。この機会にみんなで考えてみようよ。と呼びかける。Aさん自身これまでの人生を振り返ると助けたり、助けられたり、関わった人の数は、大したことはないけれど、深く強くまじわった友達、親友と呼べる人はいる。今回このクラウドファンディングに臨むにあたって、Aさんはそのひとり一人に連絡をとって、できるだけ直接会って想いを告げ、頭を下げた。その結果100万を超える資金が彼女の友だちから送られてきた。友だちって、うれしい時もつらい時も何でも話せて、助け合ったり、喜び合ったりできる仲…。いつしか人間は他人に心を開くことが下手になってしまったのか。あと、打算や損得もほどほどにして欲しい。よく選挙が近づくと、よろしくと言って、さも親しげに連絡してくるけど、「あなたのことよく知らないので、用があるなら訪ねてきて」と意地悪な返答をあえてする。大手の証券会社や保険会社の営業が来るとまず最初に尋ねるのは、どこの生まれ育ち、いまどこに住んでる…。要するに顔も知らない、『地』のつながりもない人からモノを勧められても僕は買いませんよ。と早々にお引き取りを願う。私は創業者の父から唯一教わったことは、出来るだけ地元を使うということ。ずいぶん昔のことだけど、会社の年賀状を近所のいわゆる「たばこ屋さん(そこでは切手とかハガキも扱ってた)」で買ってと言われ、その時は印刷会社に言えば一度に済むことと面倒に思ったけど、そういうもんじゃないと今は分かる。先日、隅田川沿いをウォーキングしてたら『友情から未来へ』が刻まれたモニュメントを見かけた。つなぐとか縁とかコミュニティとかいろいろ言ってるけど、大事なことは『友だち』づくり。こどもの頃歌った童謡「一年生になったら友だち100人できるかな!」そのころの夢と希望を抱ける社会を取り戻すこと。毎年が一年生、いくつになっても青春。助け合ったり、喜び合ったりできる友達をつくり『友情から未来へ』をカタチにしたいものだ。

 

 

一皮むけば誰しもドクロでしょ!


永井紗耶子著『木挽町のあだ討ち』に「どんな奴でも、いずれ焼かれて骨になる。武士だからだとか男だからって、要らない気負いは捨てていい。どうせいずれは骨になるって思うと、気が楽になることもある。」人は誰しも等しい。たまに、人によって露骨に態度を変える人っているけど、見ていてみっともない。ちいっと偉い人には、へこへこして、忖度して。逆に自分より下だと思えば強くでる、言葉遣いも態度も荒くなる。これを世渡り上手だと勘違いしている人けっこういる。勘違いと云えば「清濁併せ呑む」よう生きるように…とこの小説にも出てくるが、『清流即ち善も濁流即ち悪』も隔てなく受け容れる大海のように心を広く?!そこらのつまらぬ生まれたての大人がそれこそが出来て一人前ぐらいのことを言いそうだ。お前は、不器用だ、要領が悪い、人は上手に使えなど助言してくれる人もいるが「呑んではならぬ濁りもある」無理に呑めば腹も壊すってもんだ。60も過ぎて餓鬼だと言われようが。誰しも『どうせいずれは骨になる』

 

コトウダグループ(古藤田グループ)