8月、9月合併号|AIには教養がない?

 

AIには教養がない?


運転中、ラジオから聴こえてきた「AIには教養がない!?」の声。これは良いネタだと思い、いろいろ調べてみる。現在のAIは膨大な情報(知識)は持っているけど人間のような『教養』は持っていない。ちなみに情報とは事実や知識の集まりのことで、AIは膨大なデータを記憶し組み合わせ、例えば僕の質問に対して論理的に回答はしてくれるがその回答は単なるデータに過ぎない。つまりAIは僕を知らないから、質問内容への僕の意図や想いも知らない。だからデータをかき集めることはしても、善悪の判断はしない。僕にとってその回答が本当のところ役に立つのか、有益なのか?AIにとっては『そんなの関係ね~』ということで一切の責任を持たないということだ。なるほど、ということはAIにあまり頼りすぎるととんでもない落とし穴に落ちるかもしれないってことかな…大事なことは、この先の未来を生きていく上で必要なことは、AIが持たない『教養』をどう身につけていくのかそこがキモ!ということになりそうだ。まずは、教養の語源は何か?を確認しておく。語源はカルチャー(culture)。カルチャーの訳は1つが『文化』で、もう1つが『教養』。そして、カルチャーという言葉はラテン語のコレール(colere=耕す)に由来する。土地を耕すことから、心を耕すという意味になる。心を耕して豊かにする。言葉にするのは簡単だけどさてどうすれば良いのかAIに聞いてみる(笑)。人間に求められるスキルとしては、AIの出力を鵜呑みにせず、批判的に検証する力(クリティカル・シンキング)、そしてAIの出したデータから、社会にとって何が最善かを決める力(価値判断)、さらに知識を自分の生き方に融合させ、他者と深く共感する力(人間性)がある。AIは優れた「知識の道具」ではあるが、それをどう使い、活かすかは、人間にしかできない「教養」の領域であることを常に心掛けとしなければならない。理論だけではわかりにくいので最近読んだ夏川草介氏の『エピクロスの処方箋』から参考になる言葉を紹介したい。医療技術で人は救えない、救うのは人である。知識や技術なんてものは、本人の努力次第でいくらでも身に付けていける。だが、倫理や哲学って領域は先導者が必要だ。どうでしょうか?何か気づきませんか。病は気からです。心と体はひとつ。知識、技術に、心の豊かさ、人間力が兼ね備わった教養ある人こそが名医となる。AIがいくら進化しても名医にはなれません。もう一つ例をあげます。今年2026年4月に岐阜県飛騨のにコー・イノベーション大学・略してCoIU(コーアイユー)が開学しました。目指す学びは『共創するチカラ』。価値観、求めるモノは10人十色。対話を重ねることで、一人では思いつかない解決策や新しい価値が生まれる。情報、知識だけで『やりもしない できもしないのに、わかったつもり、できてるつもり、知ってるつもり』では、実際に人を動かし、何かを創ることはできない。こういった試みも『教養』を身につけ心を豊かに耕していくための一つのヒントではないでしょうか。

 

 

エピクロスの主張する快楽とは?


夏川草介氏の小説『エピクロスの処方箋』のエピクロスとは2千年以上前の哲学者のこと。彼は、『快楽』こそ至高善だと主張した。彼の云うところの『快楽の本質』は何よりも『精神の安定』のこと。『心の安定』こそが人間にとっての快楽であり幸福であると。『幸福と快楽とは何か?』金やモノや権力に執着することで得られる満足・刺激・興奮??快楽の多くはお金さえあればすぐに手に入れることができる。でも手に入った快楽はあっというまに消えていってまた次の快楽が欲しくなる。そうして人間は果てしなく快楽を追い求めて走り続けることになる。エピクロスの主張している快楽との主張とは乖離している。現代人が求める快楽では心の安定は得られない。そこに、この小説で記されている『医療技術で人は救えない、救うのは人である』の本当に伝えたい本質があるのではないか?と感じると同時に、本稿でも取り上げているAIは膨大な情報(知識)は持っているけど人間のような『教養』は持っていない。に通じるものと私は思う。『人間死ぬまで未熟』この言葉を座右の銘にこの先教養を身につける努力を続けていこうと思う。

 

コトウダグループ(古藤田グループ)