3月号|誰かのためにできる孝行

 

親孝行したいときには親はなし。か…


昨年12月母が他界した。親孝行したいときには親はなし。まあ、御多分に漏れずといったところだ。私は20年近く東京と伊豆との2拠点生活を送っている。東京へ戻るのは、コロナ禍となってからは月に1、2度ほどだろうか。ほとんどを伊豆の実家で過ごしている。5年ほど前から、昼は自前の弁当を食べている。と言ってそれまで母がつくっていたわけではなく、何となく始めたのだがこの朝の弁当作りの習慣が母との時間を増やすこととなった。一緒に台所に立ち、料理の作り方、工夫、夕食の献立など日常のたわいない会話の中に、これまであまり知らない、いや知ろうともしなかった母のことがいろいろと見えてくる。母は過去、大病はしたもののその後は普通に家事もこなし、自家用車で買いものにも出て、たまには東京の娘のところへも行く。私はといえば家の手伝いもろくにせず、自由気ままな居候生活を続けていた。ある日、ある時なにげない母の姿に『感じた』んです。『老い』を。親はいつまでもいるものだと思っている自分に、そうじゃないんだと…忘れぽくて、あぶなかしい日常の親の姿に、あ~このままじゃいけないと、ようやく私に訪れた『気づき』からの『行動』。それからは風呂掃除やら買い物の運転手、週末の手料理、父の畑の手伝いと『時間をつくる』ようになった。やっている人にとっては大したことでもないだろうが、間違いなく私の『習慣』は変わった。人は変わろうと頭で考えていても、行動に移せないのは、そこに心がついていってないからということであろうか。さても50も半ばに近づいたころ、ようやくそこにたどり着いた私。お恥ずかしいことです。でもそういうものだと『今』は思う。現実に目の前から母がいなくなってようやく気づく、母の本当のありがたみ。そこにいるのが当たり前だし頼るし、甘える。正月のおせち料理は、母がしていた通りにしようと奮闘する姉や妻が、おせちを作りながら、まるで自分に母が乗り移ったかの如く料理の味付けに迷いがなかったと正月に話をしていた。結局のところスガタ、カタチは無くてもココロの中に母はいる。これからもずっと同じような『感じ』を味わうことになるのだろう。まさに般若心経の一節『色即是空、空即是色』だ。修禅寺の住職が49日の法要の時に、親はいつでもいくつになっても子が心配。生きるとは、ここまでやればいい、これで大丈夫はないんだ。そしてこれからを生きる私たちができる親孝行とは、一生懸命生きてる姿を親に見せること。そんな導きを頂きました。子としてまた一個の人間としてまだまだ未熟な私に母が与えてくれた気づきの機会『大きな環境の変化』が私の中でとてつもなく大きな『刺激』となって『一生懸命生きる』覚悟ができたように想います。3月には60歳を迎える年男の私。人生100までとして残り40年をどう生きるかしっかりと自分の目で見て触れて聞いて感じとり、その上で未来を想像し創造し、家族、親戚はもちろん地域や会社や自分以外の誰かのために、できる孝行に励みたいと心に誓う今日この頃です。

 

 

「対談」伊豆市長と松崎町長


2023新春特別企画として、FMISで菊地伊豆市長と深沢松崎町長との対談を行いました。テーマは『伊豆半島西南エリアの地域連携』です。お二人の話をまじかで聞けましたのでいろんなことを感じたり、多くの気づきがありました。伊豆半島のど真ん中に位置する伊豆市修善寺は、西南エリアの地域連携を進める上で重要な位置にあり地域資源である人・モノ・情報の交流・発信拠点として多様な機能を果たさなければならないこと。土肥、松崎、河津との経済圏を構築していくための産業、観光、防災、交通インフラのハード&ソフト両面からの整備を総合政策の最優先課題とすること。舩原峠・仁科峠・天城峠という『峠』のこっち側と向こう側の地元意識、境界線は、観光客も含め外部の人にはなんら関係がないフラットなものであること。そのバリアを無くしエリアが一致団結することで、ココで暮らす子供たちに安心の未来をもたらすこと。社会が複雑化し不確実さが増す中で、『地方ならでは、地方にしかできない循環経済の構築』がこの伊豆西南エリアの未来づくりにつながることは間違いなさそうだ。

 

コトウダグループ(古藤田グループ)