6月号

 

和の伝統芸能『落語と歌舞伎』


NHK BSのドラマ『昭和元禄 落語心中』は、ここ数年のテレビドラマの中では一推しの作品だ。もともとは、雲田はるこさんの漫画のドラマ化。このドラマを見れば否が応でも落語に興味をもってしまう。今でも頭から離れないシーン。『死神』の一節…「消えたら死ぬよ 消えたら死ぬよ ほら消えた」。このドラマの影響で、ユーチューブの名作落語を聞くことが読書と並び余暇の過ごし方となっている。では、そもそも落語とは何なのか?ということですが、落語芸術協会のホームページには、噺の最後に「オチ」がつくのが特徴。歌舞伎などほかの伝統芸能と違い落語は身振りと手振りのみで噺を進め、一人何役をも演じる。『演者の技巧と聴き手の想像力』で噺の世界が広がっていく。落語の始まりは、室町時代末期から安土桃山時代にかけて、大名に仕えた「御伽衆(おとぎしゅう」、その中の一人、安楽庵策伝という浄土宗の僧侶が秀吉の前で滑稽なオチのつく噺を披露したのが始まりとされている。落語の魅力は何といっても、広い舞台の上に座布団1つの空間で繰り広げられる噺家の巧妙な手振り身振りを交えた話術に、聴き手である観客は知らぬ間に噺の世界へと引き込まれていくその瞬間の心地良さだ。ドラマ『昭和元禄 落語心中』は、落語家の道を歩み、やがて名人と呼ばれる域に到達していく主人公の悲喜こもごもの人生劇場を見事に描いている感動作品となっている。

日本の芸能といえば歌舞伎もまた、興味をそそられる1つだ。吉田修一氏の作品である『国宝』は、歌舞伎役者の、すさまじいまでの芸への執着?技を磨き、道を究めていく役者喜久雄や俊介たちが向かう先は、狂気…。

では歌舞伎とは何なのか?これは、戦国時代に『出雲阿国』と呼ばれていた一人の女性が始めた念仏踊りが最初だと言われている。かぶきとは本来『傾く(かぶく)』からきていて、目立つことをする、異風異装の姿で戯れ行動をする者を『かぶき者』と呼んでいた。伊達政宗や前田慶次郎などは、かぶき者の代表格。あらゆる和の文化に精通し、教養もあり、しかも武人としても一角の『もののふ』で段違いの異能人である。戦国時代も終わり、徳川の世になると旗本次男坊、三男坊が奇抜ななりをして我こそかぶき者とふいていたようだが、ただのチンピラである。本物のかぶき者に興味のある方は隆慶一郎氏著『一夢庵風流記』をお読みください。

さて歌舞伎に話を戻します。現在の歌舞伎とは当て字で、『歌』は歌舞伎音楽といって、長唄に代表される『唄いもの』と義夫太節に代表される『語りもの』に分けられます。『舞』は、動作の美しい身のこなし=舞踊であり、『伎』は、美を追求した演出・演技。を意味します。現在でもその人気は高く、日本独自の伝統芸能なのです。今回は、落語と歌舞伎に触れましたが、寄席には何度か行きましたが歌舞伎座にはいったことがありません。機会をつくって是非ともホンモノを見てこようと思います。何はともあれ、何事も『極める』ということは並大抵なことではなく、さらに継承していくことも容易なことではないことは間違いないことです。

 

 

和の文化を守り伝えること


新年号である令和が万葉集の一節を典拠としたことで話題となったが、実のところ『万葉集』にはあまりなじみがない。万葉集は奈良時代末期に成立した日本最古の現存する和歌集ということだが、私の中での和歌集と云えば断然『百人一首』である。平安時代から鎌倉時代に変遷された勅撰和歌集である古今和歌集、新古今和歌集から藤原定家が選んだ秀歌選である。小学校時代に百人一首大会が年に一度あって、友人たちと競って百人一首を憶え、正月には、父が読み手となって家族で百人一首に興じた思い出は忘れない。今でも当時憶えたお気に入りの歌をいくつかは、そらんじることができる。このように、日本の伝統文化の伝承には『学校』『家庭』での教育の場づくりが重要で、子供が興味を持つことで、親もまた一緒に学ぶ機会を得ることができる。そのようにして和の文化を守り伝えることが和の心、和の精神を育むことにもつながるであろう。

 

コトウダグループ(古藤田グループ)