1月、2月合併号|今年の漢字

 

2023年を漢字一文字で表すなら『汁』。


昨年12月16日、母が逝った。その日から僕の人生は大きく変わる。毎朝4時に起床、台所に立ち味噌汁をつくる。父のためであり自分のためでもある。今日一日の始まりの大事な食事だから美味しく頂きたい。そうは思うが、毎日作り続ける事がこんなに大変なことなのか、まずは思い知ることになる。料理は姉の影響もあって小学生のころからクレープとかママプリンとかって、おやつばっかりだけど(笑)、東京での学生時代を経てさらに腕は上がる。得意料理は麻婆豆腐、チャーハン、カレーにパスタ。これまでは週末、気が向けば好きなものを作る。コストも考えず台所が汚れることもお構いなしの男の料理。しかし、レパートリーに『朝の味噌汁』はない。母の味噌汁を思い出してみる。母は北海道・夕張の出。ジャガイモと玉ねぎの味噌汁が印象に残っている。とりあえず作ってみる。料理というモノは、真似ようと思って真似られるモノではない。レシピがあれば美味しくできるわけでもない。ましてや母の味など出せるわけがない。そもそも人を真似ること、決まったことをその通りにやることが大の苦手。その気質が功を奏した。やり方がわからない、やったことがない、知らないということに、なんの抵抗もなく、むしろ好んで探求していくのが好き。目と鼻と口の記憶だけを頼りに想像して創造する。何やかや能書きを垂れても実のところ、考えている暇などない。父の畑からの収穫物は待ったなしで台所に持ち込まれてくる。青ねぎ、ジャガイモ、里芋、おくら、椎茸、大根、トマト、キュウリ、ナス…季節ごとに変わる大量の野菜たち。味噌汁との格闘が始まる。とにかくあるモノを使う。毎日同じ具材は、作っていて面白くないので具材の種類や組み合わせや、酒かす、白だし、鶏ガラと味噌が主役だけど脇役は変える。夕食も自分が作るのでその余ったモノも気になる。トマト、ナス、キュウリの収穫期。冷蔵庫の余り物。使わなければ捨てることになる。捨てたくないから使うにはどうする?美味しく食べるには?といろいろイメージする。作りながら、味をみながら、そう料理は直感。考えるより感じる。そうやって生み出されたコトウダ流みそ汁の数々。すべて、何かしら中身が、味付けが違うので、たまに手伝いに来てくれる姉や妹は、呆気にとられる。美味いとわかるとそのアイディアを真似る、盗む。長年連れ添う我が妻もこの一年の僕の変化には舌を巻く。そして一言。『これはまさに一期一会の汁ね』まあ、褒め言葉と受け取っておこう。何はともあれ、味噌汁づくりは、すべての料理の基本。そう断言できる。そのアイディアはあらゆるところで活かされていく。そう、日々の営み、人との関わり、商売のいろは、地域とのつながり、いつしか汁づくりとは人生そのものであることに気がつく。2023年うさぎ年、年男。この一年は、まさに私の人生にとってのイノベーションの年となった。その原動力は汁づくり。そして、今日も『一期一会の汁づくり』はつづくのだ。

 

 

いい『土産ばなし』のできる生き方を!


先日、母の一周忌の折、修禅寺の住職が「いろんな人からいろんなものを授かって、どうにかこうにか自分は生きているという事を悟りましょう。そしてお世話になった人たちに『お返し』をしていく事を忘れずに。すでに向こうの世界に逝ってしまった方には、自分が旅立つ時に『土産ばなし』をたくさん持っていけるように。そういう生き方を心掛けて、これから先も生きていくことが大切です」そんな内容の話しをしてくれた。求めるだけでなく、与えることのできる生き方。人を思いやる気持ち。困っている人が目の前にいたら自然に手を差し伸べることのできる人。そういう人で自分はありたい。先日インスタに『思いやりのバトン』の動画を偶然見つけた。そこに添えられていた言葉。「思いやりは連鎖して街中にひろがり、そしてその思いやりは、きっときっと一人ひとりに返ってくる。」世界から争いごとが無くなり、うれしい『土産ばなし』が日々の暮らしの中で自然に生まれる、そんなキッカケとなる2024年、辰年となりますように。

 

コトウダグループ(古藤田グループ)