勝者と敗者の考え方
勝者と敗者。勝つ者がいれば負けるものがいるのは世の道理だが、この両者の決定的な違いはいったい何であろうか?先日、SS伊豆の経営者兼監督の片岡君が今期のスポンサー契約と近況報告に訪れた。ただいま3連敗中。東海リーグ一部昇格、チーム立ち上げからこれまで順調に階段を昇ってきたSS伊豆であったがココで大きな試練を迎えているそうな。なぜ勝てない?試合後の反省会は、あの時こうしてくれていたら…みんな自分以外の誰かのせいにする。負けた言訳。敗戦の戦犯探し。片岡君は嘆く。あ~みんな大事なことを忘れてる。サッカーは11人でやるスポーツ。みんなの心がバラバラになっている感じ。どうしたら勝てると思うの?彼の答えは単純だ。技能技量ではなくマインドの問題。マインドとは?自分も相手も尊重するということかな~一言でいえば『利他』の精神の欠落だと思うんです。必要なことは選手たちの意識改革。そこそこサッカーが上手くても、自分さえよければいい、損得勘定、目先の利益…。選手たち一人ひとりが、そういう次元の低いマインドではワンチームにはなれない。でもこの課題の一番の責任は監督である僕にある。強いリーダーシップ。決断。上手くてもチームの輪を乱すものはいらない。そう言い切れる揺るがぬチーム戦略。その気づき、志向は勝者への第一歩かもしれない。そも勝者とは、負け=弱いをしっかりと認め、その原因を追及し顕在化する。そして勝つために必要なことは全部やる。毎年全国に行くチームは先輩から後輩、後輩からまた次の年代へ全国へ行き続けることの誇り・使命・責任を引き継ぐ。そう『続けるということはツナグ』ということだ。中学時代の陸上部を思い出す。日々の練習、記録会、そして試合。互いに切磋琢磨し、気づいたところは声をかけ、記録が伸び悩んでいればアドバイスは惜しまない。陸上は個人競技だけどクラブは一体だった。勝つことが当たり前だった。負けた時もあったが言い訳などせず、聞かれれば、『それは弱かったから。』と答えていた。その言葉の裏側には『次は必ず勝つ』。気負いでもなんでもなく、精神論でもなく。そのための練習をするのみ。これが勝者と敗者の違い。会社組織であろうが地域であろうが、共通の考え方。片岡君が一言、チームに欠けているものそれは『利他』。そう言えるのは、これまでの人生の積み重ね経験であろうが、なかなか出てくる言葉ではない。大した男だ。私自身目指すところもまた利他。シンプルに顧客をはじめ、地域から『コトウダは、いい仕事してるね!』その言葉をもらえるよう日々を努める。見た目が肝心、まずは5Sから。さらに探求・探究することで、整理・整頓・清掃・清潔・しつけは上っ面から内面の本質へと向かう。マインドの進化。心が強くなることで意識が変わる。視野、視点が変わる。考えること、感じることが変われば、行動が変わり、『利他』の本質へと近づく。ツナガルことすべてがウエルビーング志向。幸福感で満たされるような安心・安全・快適な暮らしがカタチになるといいね!!
究極を追い求めるということ
暇つぶしにユーチューブでアニメ『美味しんぼ』を見ていた。卵の中の卵を追い求めるのであれば、平飼い、自然卵。その中でも初卵(ういらん)はもっとも美味であるとされている…ひよこから親鳥となって初めて生む卵となればさぞかし美味いだろうとは思うが果たして現実的にそこまでの管理ができるのであろうか?いや実は重要なのはそこではない。生産者が一羽一羽をたいせつに見守りながら注意深く育てられた鶏が生む卵なら、それが初卵かどうかなど問題ではなくウマいに決まっている。理屈ではなくそれが事実。ホンモノを追い求めるということは、その極限までのこだわりではないだろうか。人はうわべ、見た目、能書きに騙される。それをいいことに、本質を忘れ表面的な味の上塗りをする料理人たち。それは誤魔化しでしかない。究極、探求、創造…何事においても、こだわりある生き方をしたいものだ。