コーチングを受けることにした
これから半年間、毎月のセッションとその間の宿題や習慣づけで僕自身をイノベート。ありたい姿はお坊さん。泰然自若。分け隔てない笑顔。そうなりたいものだ。今回を機にひとつ己に課したことがある。ジャーナリングといって、寝る前に、頭に浮かんだことをありのままにノートに書き出す。日記とは違う。僕は4年前から日記をつけている。毎朝昨日のことを日記に残している。このことで自分の行動や心の動きが整理でき次の行動へと思考がツナガルようになった。一方ジャーナリングは頭の中でぐるぐると想い浮かぶ妄想、想像、空想など多様な感情を文字や絵などで表現していくもの。決まりない。浮かんだことをありのまま…やってみるとコレが簡単じゃない。今日で5日目だけど、文字にしにくいことは無理に言語化しないで図や絵で心象をカタチにしてみる。まあ、まだよくわからないけど、続けるには、自分が楽しくなきゃダメなんで気持ちを楽にチャレンジしようと思う。これまで3回約2時間づつのやり取りをコーチとしていく中で、ひとつ気づいたことがある。これは僕の場合だけど幼少期から小学校3年生までの体験が僕の今現在の思考や言動に多大な影響を与えているということ。普段は絶対にやらない人生の振り返り、あまり思い出したくない当時の体験や意識が記憶の中から引き出されていくのは気持ちの良いもではない。でもそれが今の自分のポジティブさネガティブさ両面に出ているのであれば、しっかりと捉えなければならない。さらに、中学、高校の陸上部の経験とか大学時代のサークル活動や東京での起業、節目、節目での体験や意識をあらためて自覚することで「ありたい姿」への自分変革の旅はスタートする。ほんの1~2回コーチと話しただけですが、グサッと来た一言は『愛はあるのにその表現方法が良くなくて相手にその想いが伝わっていない』伝えているけど伝わらない最大の理由は表情や態度や言い方。これまで特に仲の良い友人や尊敬する先輩から注意されてきたことをいきなり指摘された。なぜ改めない?僕自身の偏った言い訳としては、誰かが本当のことを言わなきゃダメ、人は気づいてはくれない。少々の摩擦も相手との距離を近づけるためなら大いに結構。感情的になって怒鳴るのは良くないが叱ることはしないと…そのこと自体は決して間違ってはいないと思うけど、表情や態度や言い方で相手の受け止め方は変わる。それなら変えなきゃならない。頭でわかっていても、これまでもできなかった、やろうとしなかった…ここが僕の最大の欠点でありコーチングにより自身がイノベートしていく重点課題。コーチが僕を変えてくれるのではなく僕自身が僕という魔物を相手に闘い、僕の深層心理に巣喰う過去の体験や意識を開放するしかない。僕はこの半年を真剣にコーチングに向き合い、残りの人生をウエルビーングに近づけられるよう努めていく。が道のりはたやすくはない。自分と向き合うことから逃げ出せば結局は何も変わらないだろう。この寄稿は、覚悟を示す背水の陣だ。
伝えているけど伝わらない、その原因は自分自身にある。
中高6年間の陸上部での体験や意識が、会社や地域の活動の中で結果を出せない人たちに強い言葉で、だからだめなんだと言い切ってしまうのは、どうやら毎日の練習の積み重ねでしか結果はついてこなかった陸上部時代の実体験によって行動や意識に刻み込まれているかららしい。特に中学時代、365日休みなく陸上漬けの毎日をほぼ3年間過ごし、結果も出した。僕にとっての絶対の自信、心身の基礎がつくられたのはまさにココ。そこでコーチは僕に投げかける。あなたがしてきたこと、体験や意識をあなたの周りの人たちは同じように体験をしてきたでしょうか?答えは否です。自分はそうやって結果を出してきた、だからできるはずと伝える。経験のない相手は『何を言っているのかわからない』伝えてはいるけど伝わらない、原因はあなたにある。にもかかわらず、周りが動かないとイラッとしたり…どうですか?あなたのありたい姿見えてきましたか?見えてはきた。でもどう自分と向き合えばたどり着くのか今は皆目わからない。