12月号|あの一言がトラウマに

 

あの一言がトラウマになっています。


私は28歳から会社経営を仕事としている。もうかれこれ33年。社長業を長くやっていると私の中の常識と周りの人たちとの常識にギャップが生まれてくる。自分の思考言動にバイアスがかかっていることに人は気づかない。会社の存続、目標達成、課題解決に向け言葉を発する。叱ることもある。それは私自身の心持ちでは相手に対しての成長を期待してのことであるのだが、相手はそうとらない場合が多い。あ~社長怒ってるー、怖い!という感情に心はギュッと鷲づかみされ恐怖、いやな気持だけが心の傷となって残る。𠮟られた内容はというと…受け止められていない、伝わっていない。社員は僕を一個の人間ではなく、社長としてみる。この会社で一番偉い人、いつも怖い顔してる人…。経営者の中には強制力で人を押さえつけ、イエスマンを好む人もいるがこれは経営者が陥るある種の精神障害といってもいいものではないかと僕自身は理解している。これまでの33年間の経営者活動の中で少なからずこういった心の傷を負わしてきたことは紛れもない事実であろう。それは取り返しのつかないことだ。目的のためなら手段を選ばず?それが経営者の仕事だ~。そんなお山の大将気取った経営者では会社がより良い方向に進むわけがない。コーチングをスタートしておおよそ2か月が経ち、これまでの人生を振り返り、過去の自分、今の自分にこれまでになく真剣に対峙してきた。気づいたことは、いかに自分の心に余裕がないか、ちゃんと相手を見ていないか、いや己自身さえも見えていないということに呆れる。ただただ思い込み、信じることをせず、疑うことばかり。なぜか?それはこれまで自分の弱さを認め、自分の弱さと本気で向きあってこなかったその報いであることに気づく。正直この2か月で心身ともに消耗仕切っている。心の奥底にしまい込んだパンドラの箱を開けたことで現れた私自身の鬼は強敵だ。でも退治するしかない。今は勝てる気が微塵もしないが、ネガティブに陥っては相手の思うつぼ。コーチは人間の不完全さを受け入れることの重要性や「願い」「希望」「分かち合いたいビジョン」にスポットライトを当てていくことが大切だと声をかけてくれる。そう、これは本来他人と相対する場合のアドバイスであろうが、今は自分自身との対話に必要なことだと受け止めている。先日娘が会話を気持ちよくするには『まくら言葉』が大事だと話してくれた。さらにコーチからはgood&more。認めること、ほめること、その上での導きを意識して会話をするようにしたらとのアドバイスがあった。まずは社内のブラブラ歩きからの社員への声かけを繰り返し続けることで、自分自身の中の鬼と対峙し退治するための糸口を探りたい。どんな目的があろうと人を傷つけるようなことはしない。好かれるとはいかなくても嫌われないよう、怖がれないよう、あ~なんか最近笑顔が多くなったよね、ちょっとやさしくなったんじゃない?なんて周りの人から言われるような人になれたら、鬼が退散し始めたことになるかもね。

 

 

六十にして耳順う


–  ろくじゅうにしてみみしたがう  –   論語にあるこの言葉。人間60の年を数えたら、いつまでも俺が俺がって言ってないで、他人の意見に反発心、対抗心も持たないで平成に、冷静に広い心を持って、素直に耳を傾けられるようにならないといかんよいっていう諭。これまさに今の僕がもっている大きな課題であり、同時に反省を促す言葉だなぁと思う。中学の頃は意味もわからずただ暗記をしていただけだったけど、10代に暗記したものって意外に覚えていて、何の気なしに思い出しそれがためになることがある。この論語に四十にして惑わずともあるけど、60になった今も惑い続けている。惑いの根源は自我にあり、モノゴトに対する執着や固執、偏見や差別意識が元凶だ。気持ちにゆとりをもって相見互いに過ごすことはできないものか…小田和正氏の曲、確かなことの歌詞『疑うより信じていたい』を思い起こす。視野を広く、鳥虫魚の視点をもって社会や人やモノゴトを見ることができれば、疑うより信じたいという気持ちで毎日を過ごすことができるかもしれないなぁ~。

 

コトウダグループ(古藤田グループ)