人は誰しも『のびしろ』を持っている。(伸び代 伸びしろ のびしろ)
ズボンの裾上げをするとき内側に『縫い代』を取る。中学生の制服のズボンはこの縫い代を余分に取って置かないと伸び盛りの時期だけに『裾が足の長さに合わず、「あらあんたズボンがツンつるてんね」と笑われる。そう、モノづくりの知恵とでも云おうか、とにかく世の中のあらゆるところに『代』は存在し、その時々、用途や作業に合わせて上手に活かされている。先日、母の三回忌で修禅寺の住職が法話の中で『のびしろ』の話をしてくれた。人は誰しも『のびしろ』を持っている。無い人はいない。そう信じて疑わずに毎日一生懸命を励むことが肝要だ。でも人によっては、自分は今よりも良くなることは無い、何をやっても無理、無駄と思い込んで諦めてしまう人もいるだろう。これは大変に『もったいない』こと。自分のまだ表に現れていない無限の力が内に秘められているのに、活かさず眠らせてしまっては、ズボンの裾の裏側の縫い代をただの余り布で終わってしまうようなものだ。住職は繰り返し語る。『人は誰しものびしろを持っている。けれど使わなければ、使おうとしなけば、せっかく生まれもって与えられた恵みを粗末にすることになってしまう。あるんです。のびしろは。あなたの中に。だからこそ毎日毎日の起こる出来事に逃げずに諦めずに努めて一つひとつを成長の糧としていきましょう。話の内容もさることながら、住職の醸す雰囲気、声質、語り方がなんとも心に染み渡る。住職はお経をあげた後、何気ない口調で淡々と語りはじめ、そして皆が住職の話の余韻に浸たっている間にすすっと会場を後にする。焼香の漂い、しんとした空気になんともいえない居心地の良さを感じながら母を想う良き三回忌であった。法事の何日か前にコーチから『自分へねぎらいの言葉を贈ってみよう』というメールが届く。自分自身へねぎらいの言葉?ってなんだろう。文字通り自分お疲れ様!というのは、たやすいが具体的に僕の何に対してお疲れ様なのか、しばらく考えてみる。コーチングを受けてから2か月、これまでに取り組んできているいくつかのことが頭に浮かぶ。そして、これまで60数年間生きてきて、初めて自分に贈ったねぎらいの言葉。それは、コーチングを受けることを決めた自分にありがとう。コーチングを通して真剣に自分と向き合っていることにありがとう。気づかなかった大事なことを気づかせてくれてありがとう。以前読んだ『ホ・オポノポノ』をテーマにした本のことを思い出す。ハワイに伝わる魔法の言葉。ありがとう、ごめんなさい、許してください。愛してます』。この魔法の言葉たちは、コーチングを受け始めたこの2か月、毎日の心掛けとしているところ。good&moreのキッカケとなるまくら言葉。さらに今回テーマとした、人は誰しも『のびしろ』を持っている。そののびしろに導きを与える言葉となる。コーチからの声掛けと実生活での僕の体験が不思議なほどに合致しているのは、偶然なのか…いや、まさに今の取り組みが、僕の人生にとっての使命・天命に他ならないからであろうと実感する。
手前みその語源
先日、中学時代の友人が関わっている伊豆市健康づくり食生活推進協議会(略して食推協)の味噌づくりの見学とチョコッとだけ体験をしてきた。味噌は、つくり始めたところから生きている。長年の経験から培った手順に従い、一つひとつ丁寧に味噌づくりは進められていく。一番のポイントは『カビ』を出さないこと。材料の下ごしらえや混ぜコネ、容器の取り扱いなど手抜きは即カビへとツナガル。樽に仕込んで2年間、ようやく味噌が完成する。まさに手塩にかけて育てる。2年前に仕込んだ味噌をおすそわけしてもらったので、さっそく朝の味噌汁に使い味わってみるが、これだけ、丹精込めて、手塩にかけて作った味噌はウマいに決まっている。誘ってくれた同級生も、何度も『手前みそ』だけど美味しいから!を繰り返す。なるほど自分で自分を褒める=手前みその語源はまさに自分がつくった味噌は何と言っても一番うまい!そういうところから来ているんだと納得する。食と健康は毎日の食卓の『手前みそ』でつながっているんだよ!