5月号|癒

 

自分で自分を癒すということ


人と人がわかり合うなんてことは最初から無理な話。だって相手が今何を考えているのか、何を感じているのか、心の中を覗くことはできないんだから。「あなたって私のこと何にもわかってないわよね。じゃあ君は僕ことをわかっているの?君だって何にもわかってないじゃない。」これはお互い様なことで、怖いのはわかったつもりでいるということ。それって思い込み。そうあって欲しい、そうじゃなきゃいけない、という相手への『求め』。この欲求がエスカレートすると強制となり、さらに暴走すれば暴力となる。さて冒頭からネガティブな話となっているが「じゃあどうすればいいの?」わかり合うことができなくても寄り添うことはできるんじゃないのか…そういったら「それってどういうこと、つき合ってもいないのに寄り添えないよ。」そっかう~ん物理的な距離感の話じゃなくて、心と心の距離感ってことなんだけど…例えば相手が苦しんでいたら一緒に苦しんでやればいい、泣いていたら一緒に泣いてやればいい、笑っていたら一緒に笑い合ってやればいい。やさしい言葉でもかけてやればいい。大丈夫、大丈夫って背中をさすってやればいい、ハグでもしてやればいい。これって相互い、お互い様のことだけど。そういうのを寄り添う、寄り添い合うってことだって僕は思っている。さて何の話だっけ、そうそう『癒し』の話。今受けているコーチングで、自分にやさしくできない人は人にも優しくできない。仕事もプライベートもいつも一杯一杯でもう限界、無理とか自分を追い込みながらの毎日じゃ、周りにいる人たちもたまったもんじゃない。こういう負のエネルギーは伝染する。こんなに頑張っているのに!?いやいやそれが一番ダメ。空回り。独りよがり。じゃあ、自分にやさしくってどうすればいいのか?どうしても人は、誰かに癒されたい、癒して欲しいと自分以外の誰かに求めてしまう。そうすると癒してほしい相手が癒してくれないと、何で?どうして?ねえ癒してよ!またまた、鬼が出て暴走する。まずは自分にやさしく、自分を癒すすべを身に着けよう。ってことで、コーチから薦められた若杉忠弘著『すぐれたリーダーほど自分にやさしい』という本を読んでみた。要はどんなことしている時が一番居心地がいいかを自分で探すこと。子育て中の社員に聞いてみた。それは入浴時間。30分から一時間ゆっくりスマホを持ち込んでユーチューブ見ながらのバスタイムが一番の癒し。それって一人になれるからかな?う~んそうでもない、彼女はこうも言う子供が入ってくることもある。子供はお風呂の中だと普段はろくに話もしないのにいろんな話をしてくれる。それも私の癒しになる。いろんな人に聞いてみる。集中していい議論ができた時とか読書に没頭してる時、ウオーキングしてる時、気の合う仲間とごはんしてる時。推し活。まあ色々だけど、共通しているのは、そんな時心の底から「あ~気持ちいい」って感じてるってこと。疲れてるな~と思ったら無理せず休む。気持ちいい時間をつくり過ごす。でも大事なのは自分にとって『気持ちいいーー』をちゃんと見つけるってこと。それができてはじめて、毎日が充実して、健康でいられて、いつでも機嫌よく過ごせる。周りの人も健康になる。みんなが機嫌よくいられる。チームワークが良くなる。家族の仲が良くなる。仕事がうまくいく。人生が好転する。ということは、そうです。自分にやさしくできることで、自分も周りのみんなも、み~んなが幸せになれるってことなんです。まさにウエルビーングそう聞いたらやるしかない。

 

 

祇園精舎の鐘の声


平家物語の一節。中学時代暗記したのは、タイトルのこの節ではじまり、ひとへに風の前の塵に同じ。で結ぶ。耳に届く鐘の響きというのは絶えず変化していくものだ。沙羅双樹の花の色も、鮮やかに美しく咲き誇るのは一瞬で、やがて散り枯れる。人もまた同じ。栄えはずっとは続くかない。いずれ衰え滅ぶもの。それが道理。世の中の生きとし生けるものすべてがその道理の内にあることを心得としていれば、また戒めとしていれば、おごれることもなく謙虚さを忘れずに生きられるはず。さすれば静かに、安寧な暮らしを長く続け過ごすこともできよう。歴史は繰り返す。人は愚かなもの。なぜに争い殺し合い、権力と支配に向くのであろうか…。色即是空、空即是色。目の前のカタチはあるようでなく、またその実体もあるようでない。ゆく河の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず。である。常に変化している。自分も他人も変わるもの。変わろうとしなくても変わるもの。自らが命を絶とうとしない限り、人は生きようとする。生きるために変わる。変わろうとしなくても変わるものだと知れば、変われない自分を嘆くことは無い。あ~無常、どうせ運命には抗えないなどと逃げの人生を送る選択はナンセンス。大切なことは今日一日を生き切ることだ。

 

コトウダグループ(古藤田グループ)