
親ガチャってな~に?
先日、娘との会話で『親ガチャ』という言葉が出てきた。それなんのことさ?えっ知らないの?検索してみると「子供が生まれてくる家庭環境をおもちゃのガチャガチャのように、自分で選べない、運まかせのものと捉える比喩表現」言葉の使い方としては、親の経済力や教育環境、家庭環境などが子供の人生に大きな影響を与えるにも関わらず、それらを自分で選択できない状況を嘆く際に使われるとある。娘の捉え方はさらに飛躍して『だから自分は親になりたくない。こどもを産みたくない』と親として恐ろしいことを娘はサラッと言ってのけたのだ。25歳の娘。同年代の友達との間で普通に交わされているという『親ガチャ』という言葉が自分の親への嘆きから、さらに結婚したくない、子供をつくりたくないにつながっていくとは~とショックを受けたままではいかん!娘に問う。親や周りの大人たちを君ら世代はどう見ているの?『カッコ悪い大人が多いと思う』どんな風に?『大人としての責任を果たさずに、子供にその責任を押し付けているみたいな』『でも何か言い返せば、大人の言うことを聞きなさい。とか力でねじ伏せてくる。そんな感じ』ほー耳が痛いなぁ~。でもさぁ、いつまでも親のせいとばかり言ってはいられなくなるよね。『そう言うよね大人は。だから私は大人になりたくないし、親にもなりたくないの』…。政府の掲げている人口減少対策を見てみよう。結婚支援、出会いの場づくり。出産・子育て支援、経済的負担軽減、仕事と育児の両立。人口減少対策の成功ストーリーは、出会いがあって、経済的に困らなければ若い世代はみんな結婚して子供を産み育てるもの、ということを前提に政策は立案されている。でもそんな単純なものなのだろうか。では、そもそもなぜ『親ガチャ』なる言葉が若者たちの間に広まったのか?それを子供のせいにするの?大人としてできることはないの?先日ネグレクトの現状をある大学の福祉を専門とする方から聞いた。あまりにも色々な原因がありすぎて、どうすれば良いのか簡単な話ではない。ただ実際に目の前で苦しんでいる、傷ついている子供たちを救わなければならない。ネグレクトの親には、人としてダメな人ももちろんいるけど、頑張って、頑張りすぎて、でも『助けて』と声に出せない親もいる。そういう人も救わなければならない。必要なことは大人たちへ大人としての責任を果たすとはどういうことかその学びの機会をつくること。子供たちには自立への道しるべは自分でつくるものだということを教えること。議論し語り合うことが大事。すべての人を導けるわけでも、救えるわけでもないけど、今、目の前に見えている現実を受け止めて、前に進んでいきたい。そう彼は話してくれた。正解はない。でもあきらめてはいけない。社会も、企業も、持続可能性を高めるためのマインドは同じだ。最近、家事代行業が注目されているという話を聞いた。部屋の掃除、買い物、保存できる総菜などの料理、それら必要に応じて代行する。実はうちもある業者に、家の掃除を隔週で2~3時間ほどお願いしている。うちは商売人の家だったので親戚のおばさんがお手伝いさんとしてよく家事をしてくれた。古きなつかしい話ではなく、古人に教えを乞う姿勢で、主婦の兼業として女性たちが起業するとか、企業は地域の課題解決の一つとして取組むとか…現代の風潮が生み出した『親ガチャ』は互いに助け合う人と人のつながりで何かしらの解決につながるかもしれない。

子供を安心して産むための環境づくりを考えよう!
伊豆市に桃太郎助産院という出産から育児、子育てまでしっかりとケアしてくれる施設がある。たくさんの子育て奮闘中のママさんたちが頼りにしている。私の家族は1つ上の姉と4つ下の妹の三人兄弟だが姉と私はお産婆さんによる自宅出産だと母からは聞いている。まあ、今から60年も昔の話ではあるが病院で出産する方がむしろ少ない時代であった。『今日はなになにさんちが生まれるから』そういう兼業お産婆さんによって、夫婦は安心して子供をつくり、産み育てていたのだ。今、伊豆市には産婦人科医は無い。子育て全力宣言!?それ以前の問題だ。桃太郎助産院にはもちろん助産師そしてカウンセラーの資格を持っている方が伊豆市のみならず周辺地域の出産から育児、子育てまでを支えている。先日、とある市議会議員と話をする機会があったのでこの地域のお産婆さんを育てる手立てはないものか、行政が動かないなら民間で動こうよと相談してみた。一人でも多くの助産師が育つことで安心して子供を産む環境づくりにツナガルのであれば我々も行動していきたいものだ。




