10月号|「伝えた」「伝わった」の違い

 

(株)A and Live 代表取締役 高田明氏(ジャパネットたかた創業者)講演録を読んで


人間はポジティブに、前向きに考えていけば道は開ける。というのが氏の人生航路の指針。今日「これと、これと、あとこれをすれば」というように、日々目標をつくって一生懸命やっていけば、明日は変わる。明日が変われば、1年後も変わる。明日も変えずに10年後を変えられますか?日々をおろそかにするものに限って、未来を憂い、悩み、不安の渦に自らをおとしめる。答えのでない未来。だったらいっそ、そんな思考は捨ててしまった方がいい。過去も同様。過去の失敗にとらわれ続けても過去は何も変えられない。怠け、半端に生きて生きた過去の人生を悔やんだところで取り戻すことはできない。だったらいっそ、捨ててしまった方がいい。
未来の自分は、今日を一生懸命がんばったら変えられる。氏は言う。大事なことは、伝える力を養う事。100回繰り返して、自分は,こんなに言ったのだから伝わっただろう。でも人が動かない、モノが売れない…なぜ?自己満足?錯覚?「自分が伝えた」と「相手に伝わった」は全く別物。伝えたつもりになっていませんか?
作家井上ひさし氏の生前の言葉に「先生はどん気持ちで小説を書かれていますか?」と聞かれた時に、「難しいことを易しく書こうとしています。易しいことを深く書こうとしています。面白いことを愉快に書こうとしています。愉快なことをもっと愉快に書こうとしています。」まさに、これこそが『伝える力』の源ではないでしょうか。
次に、視点を変え視野を広げること。能の大成者・世阿弥の『花鏡』には、演者は三つの視点を意識することが重要だと書かれています。『我見』自分の視点と『離見』お客様が自分を見る視点と『離見の見』自分とお客様を客観的に俯瞰して見る視点。です。世阿弥の言わんとすることは、常に人を、相手を、全体を感じる心を持って生きていかないと能舞台にしても、商売にしても、日常の生活にしても協働、共存していけないということ。
さらに、世阿弥の言葉でいえば『初心忘るべからず』。初心とは若い時のことと思うかもしれませんがそれは違います。人生はその時々で、悩みなど、乗り越えていかなければならない課題があり、二十歳の初心、四十歳の初心、六十歳の初心とそれぞれの世代の『初心』を極めていくことが芸の鍛錬であり、人生を極める修行であるのです。
もう一つ『秘すれば花』という言葉もあります。能の世界でも、同じことを繰り返していたら人は飽きてくる。これを現代風に言えば3つのション。ミッション。山あり谷ありいろんな『課題』を乗り越えてこそ、生きがいのある人生ではないか。パッション。『情熱』こそ生きる力。大いなる夢を抱いてこその人生。アクション。『行動』あるのみ。これら『3つのション』を心掛けて生きる頑張る人には、同じ価値観を持つ人が集まり、助けとなり、とてつもないパワーを生み出すことになるのです。
人は努力すれば、必ず報われる。人生にはうまくいかないこともあるでしょう。失敗とは、やらなかったこと。一生懸命にやらなかったこと。努力の積み重ねが今につながる。それは、1年後かも知れないし、3年後10年後かもしれない。でも「あ~頑張ったかいがあったな」と心から感じる瞬間は必ず来るのです。

 

伝える力


『伝える力』に必要不可欠なこと、それは言葉の発し方。「伝えたい」という想いがあるのであれば、強くはっきり抑揚をもって言わなくてはいけません。小さな声で、ぼそぼそと感情も込めずに話しては、伝わるものも伝わりません。自分が伝えたい想いを言葉に込めて、一番伝えたい言葉は何度も繰り返すこと。そして一番大事なのは『間』。漫才、コント、芝居とセリフの掛け合いの中で、間が決まれば大爆笑!逆に間をはずせばドッチラケ!!と『間』の取り方は、とても重要な役割を果たします。伝えたいことをしっかり相手に伝わるようにするには、どう、しゃべるかが大事なのです。言葉も大事だけれども、それ以上に発声や、抑揚や、間が『伝える』手法の最上であることを忘れてはいけません。伝えたい相手の琴線をピンと弾くことができれば、相手はそれを理解し行動を変えるのです。

 

コトウダグループ(古藤田グループ)